研究室訪問
B教授の研究室訪問をしました。
事前に履歴書、研究計画書、研究業績書をメールにて提出していたので、特に準備はしませんでした。
しかし、断られないかどうかが不安でした。
話は研究計画が中心となりました。
「あなたの研究の意義は確認できたけど、これは本当にいい研究と言えるのですか」
と突っ込まれました。
B教授は良しとするけれども、他の教授陣がどう判断するか、それはわからないとのことでした。
他の教授にも支持されるような研究でないと、研究として認められないという意味なのでしょう。
入試までに修正すべき点を助言いただきました。
これで、ようやく指導教授が見つかったのです。
入試についてもかなりのヒントをいただきました。
教授は明言しませんでしたが、今回の作問には携わっていないことが読み取れました。
B教授の専門分野からは出ないことがわかり、入試対策にも有意義な時間でした。
共通の所属学会もあり、話は1時間以上に及び、改めてB大学院で学びたいと思いました。
個別相談会の先には研究室訪問が控えていますので、しっかりとした研究計画を立てていることが必要だということです。
大学院の選定その3
2016年7月、6校目となるF大学院の説明会に参加しました。
以前に仕事でお会いしたことがある教授がいたことと、仕事でつながりのある人が博士課程に在学していたので、かなり脈があると思っていました。
なぜ、F大学院に最初から行かなかったというと、自宅から2時間半近くかかるため、距離的な問題がありました。
しかし、「難民」と化した状況下で、そんな贅沢は言っていられず、最後の一縷といった思いで説明会に臨みました。
まず、大学院の過去問が閲覧できる時間が設けられました。
配布不可のため、その場で必死に書き写しました。
その後、現役大学院生4名が壇上からご自身の研究と目標について語ってくれました。
いよいよ専攻別の個別相談会が行われ、教授と大学院生が相談に乗ってくださいました。
私は事前にF大学院の紀要に目を通し、関連研究をしている大学院生の情報をインプットしていたため、話も弾み、教授も「その研究なら、早々にA教授に連絡を取った方がいいよ」と言ってくださいました。
ただ、「A教授は定年が近いかもしれないなぁ」と不吉なことを付言されました。
F大学院に絞りたいという反面、受け入れてもらえないかもしれないという不安の中、とりあえず、研究計画書と研究業績をA教授宛にメールで送信しました。
待つこと2日、A教授より、「あなたの研究は大学院レベルに達しているが、2年後に定年のため以降の指導ができない。それでも受験され試験に通った場合は定年まで指導する」といった文面が届き、私は素直に断念しました。
期待しては叶わず、とうとう行き尽くした感のある大学院選びでしたが、自分の中には、今回はしっかりとした研究計画書が書けているという手応えがありましたので、もう少し粘ってみようと思っていました。
8月、前年に訪れたB大学院の説明会に再び行ってみました。
ここは教授と一対一の個別面談で、昨年と同じ教授が対応してくださいました。
恥を忍んで、昨年も来たことを告げると教授は私のことを覚えていてくださって、話が弾みました。
数か所の大学院を回り、指導教授を選定できないことを率直に話すと、親身に相談に乗ってくださいました。
今回は履歴書、研究計画書、研究業績書を持参し、その場で見ていただき、「では、すぐにB教授に連絡を取ってください」と勧めてくださいました。
私はようやく巡り合えたという気持ちでいっぱいになりました。
他に、私がB大学院以外受験する気はないことを伝えると、「受験は秋受験の方が有利」「入試の勉強はC教授が執筆したこの専門書がいい」「入試では7割以上取ってほしい」と助言もしてくださいました。
その日のうちに事務局あてに履歴書、研究計画書、研究業績書を添付のうえメールをし、2日後にB教授から直接メールをいただき、説明会から6日後にB教授と面談できることとなりました。
2年越しでようやく研究室訪問できることとなったのです。
大学院の選定その2
2015年9月に指導教員探しをあきらめた後、所属している学会で事例研究発表を行いました。
そこで座長の先生より、かなり厳しいコメントが寄せられ、研究者としての資質のなさを思い知らされました。
もう大学院も博士論文も、そして研究発表も止めてしまおう、そんな風に思えるほど、自己嫌悪に陥りました。
しかし、11月に別の学会で発表することがすでに決まっており、何も考えず、この発表にだけ集中しようと気持ちを切り替えました。
すると、10月に2016年度、都内の私立大学の非常勤講師の話が知人から来て、週1回、1コマ90分の講義を引き受けることにしました。
11月の発表はうまくいき、自信も回復しました。
それでも大学院へ進学しようという気にはなれず、春入試に向けた指導教員探しはいたしませんでした。
年が明けて2016年1月から大学の講義のシラバス、教材の準備を始め、3月に大学に挨拶に行きました。
そこで私を紹介してくれた准教授の方、第一線で活躍する若手研究者の方と会う機会があり、名刺をいただきました。
その名刺には「博士」と書かれていました。
博士号が大学教員の必要条件であることを突き付けられた瞬間でありました。
やはり博士号を取らねば大学で教える資格もないと、再び大学院進学の気持ちがわいてきました。
4月に実際に大学の教壇に立つと、講師は楽しい、やりがいのある仕事だと改めて思えて、この時点で大学院進学を決意しました。
早速ネットでオープンキャンパスの情報をかき集めると同時に、先行研究を新たに収集し、研究計画書を書き直しました。
6月に都内のD大学院の大学院入試説明会に行きました。
個別面談の時間を設けてくださり、希望する教員名を告げると、「その先生は定年が近く新たに学生を受け入れていないんです」と言われてしまいました。
D大学院はあきらめました。
7月に都内のE大学院の説明会に行きました。
平日の18時30分から大学院のゼミ室で説明会が行われ、8名が参加しました。
遠くは広島から参加している人もいて、私と同じく働きながら大学院を目指そうとする人と会えて、励みになりました。
E大学院は少人数制の指導がウリとなっており、研究者を目指す者にとってとても魅力的な学習環境にあり、ぜひとも入学したいと思えました。
しかし、精神障害の分野の教授が病気のため、学生の受け入れをしていないと、個別相談で言われてしまいました。
もはや指導教員難民と化した感もありましたが、まだ他にも候補の大学院があったので、へこたれずにこの後も説明会に行くことにしました。
つづく
大学院の選定その1
大学院に進学するといっても、大学受験と異なり、指導教員と受験前に入学後の研究について打ち合わせをしておかねばなりません。
私の場合、コネもツテも何もなかったので、オープンキャンパスに出向き、教員の方と面談をしました。
まず、通学が可能で、研究分野の教員がいそうな大学院をいくつかピックアップし、大学のホームページでオープンキャンパスの日時を調べ、数か所訪問しました。
私は2017年度から大学院に入学しますが、2015年からオープンキャンパス詣でをしておりました。
2015年から大学院進学を計画し、2016年度からの入学を希望していたわけです。
どうして2016年度に入学しなかったのかについて、以下に書きます。
2015年7月に都内の大学院に初めてオープンキャンパスに行きました。
A大学院としておきます。
その大学院は日本の社会福祉学を引っ張ってきたともいえる所で、多くの研究者を輩出しており、博士課程も設置されております。
夜間に開講しており、通学も負担がなく、精神保健福祉の教授も在籍しておりました。
オープンキャンパスでは、パンフレット、過去問の配布をしており、クリアファイルと大学のロゴ入りのペットボトルの水までくれました。
ガイダンスの後は、個別に大学院研究科長と大学院生から話を聞く時間を得て、話をした結果、とても好印象を受け、ぜひこの大学院に入学したいと思えました。
大学院の事務局を通して、〇〇教授とアポを取り研究室訪問してくださいと言われ、帰宅後、即、事務局にメールを入れました。
しかし、翌日の事務局からの返信では、〇〇教授は体調不良のため、次年度は院生の受け入れをしないと書かれていました。
勝手に盛り上がっていただけに、大学院進学自体が閉ざされた気持ちになり、しばらくは大学院への想いが途絶えました。
2015年8月、気を取り直し、都内の別の大学院のオープンキャンパスに行きました。
B大学院としておきます。
そこは大学院事務局によるガイダンスはなく、教員との個別面接でした。
その教員の方は熱心に私の話を聞いてくださり、あなたの研究分野でしたら、この先生ですね、といった具合に、事務局宛にメールをしたうえで研究室訪問してくださいと言われました。
この大学院は夜間開講が少なく、平日に講義が集中していることから通いきれるかという不安があったことと、精神保健福祉よりバリバリの社会福祉学に力を入れているという印象を受けたので、事務局にメールを入れることは控えました。
それから2週間後に都内の別の大学院のオープンキャンパスに行きました。
C大学院としておきます。
B大学院同様、教員との個別面談のみでした。
その方は精神保健福祉分野の教授で、私のざっくりとした研究テーマに耳を傾けてくださった。
とても必要な研究だと思うと言ってくださり、連絡先を教えてくださったものの、私の中ではA大学院への未練が捨てきれず、結局、C大学院の教員の方には連絡をしませんでした。
今から思うと失礼な対応であったと思います。
2015年9月、あきらめが悪く、A大学院の事務局へメールを入れ、オープンキャンパスで個別相談をした研究科長との面談を希望しました。
面談までに研究テーマを練り直し、CiNiiで先行研究を調べ無料ダウンロードできる文献はすべて目を通し、研究計画書を作成しました。
私としてはできることはすべてやったという気分でいました。
しかし、研究科長との面談というか直談判でも、指導できる自信がないので、と丁重にお断りされてしまい、その時点で自分の中でプツリと糸が切れたかのように、大学院への熱が急速に冷めました。
終わったな、という感覚でした。
自ら2016年度の入学をあきらめたことと、自分に合った大学院、そして指導教員探しの難しさを味わいました。
つづく
4月から大学院生に
2017年4月から都内の私立大学大学院修士課程に進学することにしました。
専攻は社会福祉です。
大学の学部とは違う専攻です。
それだけでなく年齢が50近くのアラフィーのおじさんです。
いまさら修士課程と思われても仕方ありません。
50になって修士課程課程を出てどうするのだ、と思われる人もいるでしょう。
実は、その先の博士課程を目指しています。
博士課程を出てどうするのだ、50過ぎて博士号が取れても就職先なんてないぞ、という幻聴も聞こえてきそうです。
それでも博士論文を書き上げ、将来は大学講師になりたい、そう思ったのです。
これまでいくつかの大学で非常勤講師を務めてきました。
社会福祉分野での実務経験があり、いまもこの分野で働いています。
大学で教えると、バランスが取れている自分に気がつきました。
福祉の現場で働いたことを外に出していく必要性を感じました。
同時に、自分の経験を修士論文、博士論文として体系化してみたくもなりました。
結果として、学問の分野に軸を移し、現場ともつながりがもてる、そんな人間になりたいと思いました。
そんな甘くないぞ、という声も実際ありました。
大学院生になるといっても、今の仕事を続けながら、夜間あるいは休みも使って修士論文をまとめ、その修士論文が博士論文へとつながっていかねばなりません。
これからは学会にも参加することとなるでしょう。
それでもやってみたい、と思えたのです。
果てしなく厳しい道のりとなるでしょうが、自ら志して進む道です。
また、私のような道を歩もうとされている、あるいは社会福祉系大学院に進学を希望されている方のお役に立てるかもしれないとの思いもあり、ブログを開設し、日々の出来事を書くこととしました。
時々、更新してまいりますので、よろしくお願いします。